私のお母さん
私の「お母さん」。
以前『鈴』という小料理屋さんをしていました。
そこで一緒に働いていたのが私の産みの母。
1歳の小さな私を残し不運にも急死してしまったことで、...
52歳で私の「お母さん」になる決断をしてくれたそうです。
お店もそこで閉店。
小さな私は、よく台所に立つ母の様子を見ていたものでした。
その頃、ひどく調子の悪かった母は、
家事をするのもきっとさぞ辛かったことと今はわかりますが、
当時はそんなことに気づきもせずで、
基本和食オンリーの食卓に、
「もっとおしゃれなハンバーグとかスパゲティが食べたい」
なんてひどいことを言っていたものでした。
そんな母の作るお弁当は、
いつも同じ「のり弁・唐揚げ・卵焼き」が定番。
私は今のキャラ弁のような可愛いお弁当がいっつも羨ましくて
自分のお弁当が恥ずかしいくらいに思っていましたが、
大人(それも最近かも)になって本当に分かる様になったのは。
『どれほどそのお弁当が特別なものだったのか』。
だから今、その感謝の気持ちを込めて、
グループホームで暮らす母には、
私がお弁当を届けます。
あの頃母を見て教わった母の味を届けているんです。
お弁当、と言っても、
今日はお弁当箱いっぱいの「なっとう卵やき」。
あんなに嬉しそうに「楽しみだなぁ~」と
お弁当箱を開ける母に、
中身が卵やきだけなんて、と
ちょっと後ろめたい申し訳ないような気持ちもしましたが、
そんな気持ちを吹き払うような開けた瞬間のあの満面の笑顔。
こんな風にこれからお料理を届ける人にも笑顔が届けたい。
だからこそ母の味を目指して頑張ろう。
そう強く思いながら母の元を出発しました。
87歳になった今も、
私にいろいろなことを教えてくれる偉大な母です。